ブッダの生涯を追いかけて Looking for a Life of the BUDDHA

サヘート・マヘート Saheth Maheth

サヘートマヘートは、コーサラ国の舎衛城(サーヴァッティ・マヘート)と、祇園精舎(サヘート)で、ラージギルと共に、ブッダの布教活動の中心地です。
舎衛城にスダッタという資産家がいて、ブッダに帰依していました。スダッタは、ブッダに、ジェータ(祇陀)太子が所有する土地を寄進しようとしましたが、ジェータ太子は、黄金を敷き詰めたところのみしか譲らないと答えました。スダッタは、実際に、黄金を敷き詰め始め、ジェータは、その信心深さに驚き、土地を譲りました。その土地は、ブッダに寄進され、祇園精舎となり、ブッダの布教活動の中心になりました。
今は、遺跡が広がっているのみです。

前日宿泊したパルラームプルからそう遠くないところにありました。

その日始めて雨が降りましたが(雨季の走りのタイミングでした)、近くの池で、珍しい漁法で魚を獲る人々がいました。
一列に並んで、籠のようなものを上から、次々にかぶせていきます。どんな魚が獲れるのでしょうか。
手前には、山羊追いの村人がいます。
ブッダが活動していたころとそう変わらない暮らしが続いています。
途中に、ストゥーパがありました。
ここから、ブッダは、忉利天(とうりてん)に登り、ブッダ誕生後7日で亡くなった摩耶夫人に説法し、8大聖地の一つであるサンカーシャに、帝釈天と共に、地上に戻ったと伝えられているのです。
祇園精舎の地図です。
かなり広いです。
公園は、よく整備されています。
井戸の跡です。
the group of eight stupas。
仏塔の跡が並んでいます。
様々な建物跡が発掘されています。
発掘跡、土台部分だけ復元しているようです。
これは、仏塔跡でしょうか。
これは、大きな僧院跡です。
祠堂跡でしょうか。
菩提樹でも瞑想している僧がいます。
アナンダがブッダガヤから持ってきた菩提樹の子孫とのことでしたが。
案内人の人が金箔を持っているので、それをいただき(買わされ)、菩提樹に貼りました。
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道の両脇に、僧院跡が並んでいます。
ブッダの子を宿したと嘘をついたジャイナ教信者が、嘘がばれて、この井戸に身を投げたといいます。
当時、様々な宗教が、信者を増やす活動を行っていたようです。
どこまで行っても、建物跡が、広がっています。
ここが中央寺院と考えられており、今も祈りの場所になっています。
二人の僧侶が瞑想中でした。
二人とも、10年以上、瞑想を続けているそうです。
瞑想中です。
これも僧院跡でしょうか。
奥に、巨大なミャンマー風仏塔が見えます。
祇園精舎の周りには、仏教国の仏塔や、仏像が建設されています。
舎衛城入り口です。
かろうじて、城塁の姿が残っていますが、それ以外は、ジャングルと農地です。
内部には、3つの建物しかありません。
Kachchi Kuti。
Pakki Kuti。
建て物の中に入れるようになっていますが、ここに指切りのアングリマーラが隠れていたと言います。
アングリマーラも、ブッダに帰依しました。
これは、ジャイナ教寺院。
当時のコーサラ国の王は、ジャイナ教も信奉していました。
回りは、農村地帯で、当時の栄えた面影はありません。
サヘートマヘートを訪れた後は、ひたすら240kmのドライブ。
ラックノウという大きな街を通過し、カンプールまで行きました。
こんな感じの農村地帯が続きます。
工場は、煉瓦工場ぐらいしか見当たりません。
カグラ河を渡ります。
長い橋を何度か渡りましたが、どれも老朽化が激しく、激しく揺れるので、これから交通量が増えて行くと、耐えられるか心配です。
橋の継ぎ目は、10cmぐらい上下するので、徐行しないと危ないです。